お茶漬けは、江戸時代に商家に奉公していた使用人(奉公人)らがその仕事の合間に迅速に食事を済ませる為にとっていたと言われている。当時の奉公人らは一日中働かざるを得ず、食事時間も制限されていたため、必然的にこのような食事形態が生まれたようです。
また、食材である漬け物は、奉公人にとって自由に摂れるほぼ唯一の副菜(おかず)であったことから、そのことも、お茶漬が定着していった大きな要因であったようです。
このため、お茶漬けは下層階級の食事とされましたが、実利を尊ぶ庶民には、お茶漬けはその利便性から非常に重宝がられ普及していったよう・・。
■お茶漬けのルーツは?
ご飯に汁をかけるという食事方法自体は、平安時代以前にもあったようで、更に芳飯(法飯とも書く)という料理が存在していたとのこと。これは白飯もしくは混ぜご飯に七種類の具(野菜類が多い)を乗せ、その上から湯桶に入ったおこげにだし汁を加えたものを掛けた料理。正式な本膳料理や精進料理としても出され、現在でも長野県善光寺等で精進料理の一種として出されたり、沖縄には菜飯(セーファン)という芳飯に類似した料理が残されています。
なお、明治時代に、名古屋で「ひつまぶし」という鰻料理が生まれました。経験があると思いますが、最後はお茶漬けにして食べるのが決まりですね。
■お茶漬けに入っている「あられ」に注目!
1950年代には、画期的な商品であるインスタント食品の「お茶漬けの素」が考案され、市販されるようになりました。
インスタント茶漬けに入っているあられは、京都のぶぶづけ(京都弁で茶漬けのことを言う。)を参考にしたもの。ぶぶづけには、米粉から作られたあられや餅を揚げたおかきが加えられ、香ばしさを醸し出していますが、このような美味しさのほか、保管中の湿気を取るという意味でも好都合であり、あられの使用が一般的になっていったとのことです。
■お茶漬けに由来するエピソード
・戦国時代の武将織田信長などは出陣の前に湯漬けを食べたといいます。
・明治の文豪、森鴎外は、饅頭茶漬けが好物だった。理由は、大の甘党の上に、ドイツ留学中に細菌を顕微鏡で見て以来潔癖症になってしまったため。饅頭を四つにわけてご飯の上に載せ、煮えたぎった煎茶を掛けて食べたといいます。
・新宿「すずや」の「とんかつ茶漬け」は特異な茶漬けの例として有名です。とんかつ屋であるすずやで売れ残った、冷え切ったとんかつを閉店後従業員たちが工夫して茶漬けにして食べたことに端を発するようです。これをお客の一人が店に頼み込んで食べたところ、美味しいとの評判が広まり、リクエストが多くなってきたので、女将がいつごろからかメニューに加えることになったとのこと・・
・松江に行くと島根藩主・松平不眛公が茶の湯を奨励した事から 茶道で用いるような和菓子の逸品が多いですが、お茶漬けの分野でも、だし汁を使用した「鯛茶漬け」は不眛公の大の好物だったとか・・・・確かに美味しいです。
⇒ 今回は、4種類の味にまとめた64食分の「お茶漬けパック」のご紹介です。素朴な味をご堪能ください。